高橋 研の音楽的ルーツはフィル・スペクターに代表される'60〜'70年代の豊かなミュージックシーンにあり、高校時代ボブ・デイラン、ニール・ヤングに触発され作詞・作曲を始めている。

早稲田大学入学後、プロデュース研究会を結成、自らをリーダーに学生による音楽ビジネスを企画して1979年キャニオンレコードより『懐かしの4号線』でデビューを果たした。
2枚のアルバムをリリースしライブ活動に励む一方、元来興味を持っていた映画にも参加している。
しかしビジネスとしての音楽に失望した彼は、1981年のsg『さよならロンリネス』を最後に歌うことをやめてしまった。

音楽から離れた日々を1年程過ごしていたがレコード会社の宣伝マンというかたちで業界に戻ってくる。この頃の経験が後に彼のプロデュースワークのために大きな武器となってくる。
スタッフとしての活動と平行して楽曲づくりも再びはじめ1993年アルフィーの『メリーアン』における高見沢俊彦氏との共同作詞を皮きりに作詞・作曲家として作品提供を始めている。

再びフリーの身となった彼が最初に出会ったのが中村あゆみであった。
制作の全責任を負っての仕事は初めてであったが彼女は女性ロッカーブームの頂点に立つ程に成功した。ここで青春の苦悩を都会を舞台に歌う高橋 研の作品が改めて認められるかたちとなった。

1986年には5年振りのアルバム『フリーダム』を発表すると同時にライブ活動も再開された。
その後中村あゆみ、川村かおり、加藤いづみをはじめ 数多くのアルバム・プロデュースに加え多彩なアーテイストに楽曲を提供し、シンガーソングライター及びプロデューサーとして独自のスタンスでの活動が続けられている。